英語学習において
量と質どちらが重要なのか?
英語中級者の人であれば必ず浮かぶ疑問ではないでしょうか。
大前提として、英語を習得するには例外なく大量のインプットが必須です。
それでは、質より量を重視して、とにかく数をこなせばいいのではないかと思うかもしれません。
しかし、いくら量をこなしても内容がスカスカであれば、ほぼやっていないのと同じです。
ある程度の質が担保されてこそ、量に価値が出てきます。
英語学習における量と質は切り離して考えるべきなのか。
それとも、両者には相互関係があるのか。
そもそも、質と量とはなんなのか。
今回は、この問題を解決すべく深く掘り下げていきたいと思います。
英語学習における量と質の定義
英語学習界隈において度々議論される量と質の重要性ですが、そもそも量と質とはどのようなことを指すのでしょうか。
特に質というのは定義付けが難しく、いったい何を持って質というのかということはあまり議論されません。
まずは英語学習における量と質を明確化していきます。
英語学習における量の定義
まず、量というのは比較的明確に定義することができます。
量は単純に、多読であれば読んだページ数や文字数、多聴であればリスニング音源の再生時間です。
このように、インプットの量というのはある程度定量的に計測することが可能です。
英語学習における質の定義
一方、質というのは定量的に測ることが難しく、ある程度自己評価に頼らざるを得ませんが、質とはどのようなものかを把握することによって、効果を最適化することができます。
私の考える質は次のような式から導き出されます。
英語学習の質 =(難易度 + 習熟度)× 成長率
難易度は初見で内容をどの程度理解できるかという度合いを数値化したものです。
例えば、初見で100%理解できるものは難易度0。
80%理解できるものは難易度20。
全く理解できないものは難易度100ということになります。
習熟度は最終的な理解度を数値化したものです。
最終的な理解度が80%だった場合は習熟度80ということになります。
成長率は(習熟度 − 初期理解度)で初見の状態から最終的にどの程度まで理解できるようになったかという理解度の幅を数値化したものです。
例えば、理解度80%のものを100%の理解度まで上げた場合の成長率は1.20(120%)。
初見で完全に理解できるものはそれ以上理解度が向上する伸び代がないので、成長率は0.00(0%)ということになります。
では、理解度80%のものを多読した場合、未知語は全く調べないので成長率は0%じゃないかと思うかもしれませんが、実際には最終的な理解度が全く変わらないということはありません。
たとえ辞書を使いながら読まなくても、前後の文脈やその単語の使われ方を何度も見ているうちに、その単語の持つ全体的なイメージ(コアイメージ)や自然な使い方などを知らずに身につけるので、必ず理解度は向上しています。
この場合の理解度というのは、単純に単語の意味を知っているかどうかに限らず、文章全体を通して得る気づきなども理解度に含まれます。
なので、たとえある単語の意味をすでに知っていたとしても、
こういう使い方もあったのか
この場合はこの前置詞や接続詞を使うのか
この単語は動詞としても使えるのか
など新たな発見がある場合は習熟度が上がっているということです。
具体的な質の数値の算出例
では、具体的にどの程度の難易度と習熟度だとどの程度の質になるのかという例をいくつか挙げます。
なお、すべての数値はあなたの主観による結果です。
誰に見せるものでもなく、あくまでも自分の今後の学習の指標の一つと捉えるものなので、正直に評価しましょう。
- 難易度20のものを習熟度90で終えた場合(理解度80%→90%)
-
(難易度20 + 習熟度90)× 成長率1.10 = 121
- 難易度40のものを習熟度80で終えた場合の質(理解度60%→80%)
-
(難易度40 + 習熟度80)× 成長率1.20 = 144
- 難易度40のものを習熟度70で終えた場合の質(理解度60%→70%)
-
(難易度40 + 習熟度70)× 成長率1.10 = 121
- 難易度0のものを習熟度100で終えた場合の質(理解度100%→100%)
-
(難易度0 + 習熟度100)× 成長率0.00 = 0
- 難易度100のものを習熟度0で終えた場合の質(理解度0%→0%)
-
(難易度100 + 習熟度0)× 成長率0.00 = 0
このことからも分かる通り、完全に理解できて新たな発見も全くない簡単すぎるものや、全く理解できないもの(例えばアラブ語などのマイナーな言語)をいくら読んでも質は0ということになります。
現実的な設定難易度の落とし所
ではその他の全ての領域において、単純にこの数値を当てはめればいいかというとそうでもありません。
例えば、実際には理解度10%のものを20%に上げるのは、理解度80%のものを90%に上げるのに比べ、掛かる負荷が全然違います。
なぜなら、理解度は周りのわかっている情報や文脈から補完して徐々に理解を深めながら上がっていくという性質があるからです。
なので、当然理解できる範囲が狭ければ、それだけ補完し合う素材が少ないので、理解度の上昇は鈍化します。
精神的な負荷という面においても、理解度60%を切るような難易度の高すぎるものは挫折する可能性が高まります。
また、理解度90%のものを100%にするのも、マイナーな単語や文化的に理解が難しい表現も全て徹底的に調べなければならないため、多くの時間と労力を必要とします。
体感的には理解度60%〜90%の間が難易度と得られる習熟度のバランスが取れているホットゾーンではないでしょうか。
ボリューム理論
精読・精聴は英語学習者であれば誰しもが通る道であり、効果的な勉強法だと言うことは変わりありません。
しかし一つ欠点があり、費やした時間と労力の割にボリュームを稼げないと言うことです。
筋トレをしている方は知っているかもしれませんが、最近の研究では、いかに限界まで筋肉を追い込むかよりも、単純に1週間あたりのボリューム(重量×回数)が筋肥大に直結するという、ボリューム理論が主流になってきています。
そこに頻度(継続性)という掛け値が加わります。
英語学習も筋トレに非常に近いものがあり、ボリュームが英語力向上に直結します。
この場合、重量に相当するものは学習の質、回数に相当するものは学習量ということになります。
英語学習におけるボリューム = 学習量 × 学習の質 ×( 継続性)
例えば、精読を100%の理解度で10ページ進めた場合と、多読を70%の理解度で20ページ進めた場合のボリュームを比較すると下記のようになります。
- 精読を100%の理解度で10ページ進めた場合のボリューム
-
100%×10ページ=1000
- 多読を70%の理解度で20ページ進めた場合のボリューム
-
70%×20ページ=1400
理解度が30%しか違わないんだったら、常に100%で進めた方がいいんじゃないブヒか?
そう思われるかもしれません。
もちろん、常に100%理解できれば、それに越したことはありません。
頻出する重要語のみを確認しながら読み進めるハイブリット多読で60%の理解度を90%に上げるのはそこまで大変ではありません。
しかし、すべての未知語を徹底的に調べ上げて、内容の把握も完璧にするというような、90%の理解度を100%に上げる精読となると、途端に要する労力と時間が大きくなり、負荷が跳ね上がります。
精読は多読の4倍くらい時間が掛かるよ
なので、ある程度の英語力が付いたら、理解度60〜90%くらいのものをどんどんこなして、ボリュームを稼いだ方が結果的に英語力向上の加速度が上がっていきます。
集中度と継続性
このように英語学習におけるボリュームは量×質で導き出されますが、その他にも英語学習の効果を左右する重要な要素が2つあります。
それは集中度と継続性です。
たとえ同じ量と質で学習をしたとしても、この2つの要素によって学習効率が上下します。
集中度
前章で説明したボリュームは、基本的に100%の集中度で行った場合を想定しています。
100%の集中度とは、その他の作業は全くせずに、行っている学習のみに集中している状態です。
当然ながら、他の作業と並行して行えば、ワーキングメモリは分配されるので、その作業の負荷の高さに比例して、学習へ集中度は下がっていきます。
また、他の作業を行なっていなくても、スマホを近くに置いて、常に通知を気にしながら行なっている場合も、集中度が下がっている状態と言えます。
集中度の低下は、質の低下に直結します。
- テレビをつけながら70%の集中度で理解度70%の多読を10ページ行なった場合のボリューム
-
70%(質)×0.7(集中度)×10ページ(量)=490
- 読書をしながら5%の集中度で理解度90%の多聴を30ページ分行なった場合のボリューム
-
90%(質)×0.05(集中度)×30ページ(量)=135
このようにいくら量を稼いでも、ある程度の集中度を持って行わなければ、ほぼやっていないのと同じ状態になってしまいます。
また、ワーキングメモリはどんどん消費されていくので、後ほど行う学習にも影響が出てしまいます。
継続性
前述の通り、英語学習におけるボリュームは量×質×集中度で導き出されますが、これはあくまでも1回の学習を単体で捉えた時の目安です。
英語学習に限らず、その他全ての技術や学習を要するものは、継続なくして高みを目指すことはできません。
長いスパンで学習効果を捉えた時に、たとえ計算上同じボリュームの数値だとしても、週末にまとめて行うのと、少しづつでも毎日継続して行うのとでは、効果がまるで違います。
なぜ継続性が重要なのか?
まず、初めて出会う単語やフレーズはまず短期記憶として保存され、その後一定期間出会わなければ忘却されます。
逆にいうと、その一定期間内に再度同じ単語やフレーズを認識することができれば、忘却処分を免れ、さらに次の忘却までの期間が少し伸びます。
また、仮に忘却されていたとしても、ある程度短期間のうちに再見すれば、仮忘却ゾーンから短期記憶ゾーンへの復元が容易になります。
そのようにして、何度も認識を繰り返し、一度長期記憶ゾーンに辿り着いた記憶はその後しばらく出会わなくても容易に思い出すことが可能です。
下記のグラフは便宜上極端な例にしているので現実的な数値ではありませんが、わかりやすく表現するとこのように記憶が定着していきます。
結局量と質どちらが重要?
ここまで説明して、最後はそもそも論になってしまいますが、質と量を切り離してどちらが重要かという議論は不毛ではないかと感じます。
今回提唱したボリューム理論でも説明した通り、学習のクオリティは学習量と学習の質の掛け合わせで決まってきます。
なので、どちらが重要かというよりは、どのようなバランスで量と質を落とし込むかというのが最も重要です。
簡単すぎても成長しませんし、難しすぎてもエネルギー効率が悪すぎます。
バランス的には、ちょっと歯応えがあるなと感じるものをひたすら読み進めたり、聴いていくのが一番効率よく、楽しく、そして挫折せず継続して行うことができるのではないでしょうか。
もちろん、時には精読のようにとことん突き詰めていく学習も必要ですが、英語中級者以上の人は、基本的にはボリュームを意識して日々の学習をこなしていくことで加速度的な成長を実感できるでしょう。