私は3年の留学生活で何を得たのか?
私は22歳の頃、アメリカに留学へ行きました。
留学生活を開始したのは、2004年の9月なので、もう20年以上前になりますが、当時の記憶や空気感は、今でも私の中で鮮明に残っており、キラキラと輝いています。
スマホも無い時代のお話なので、今とは留学に対する感覚はだいぶ変わっているかと思いますが、
現在留学を考えているので、リアルな留学体験を知りたい…
という人にも、十分参考になることはあるかと思います。
そこで、今回お話しするテーマがこちら、
- 私のアメリカ留学体験談
それでは、始めていきましょう。
留学をしようと思ったきっかけ
そもそも、なぜ留学に行こうと思ったのか?
初めて海外を知る
私は高校卒業後、東京にあるデザインの専門学校に入学し、グラフィックデザインを学びました。
そして、専門学校2年目に、研修旅行でフランスのパリとイタリアのミラノに行きました。
私にとって、これが初めての海外だったので、まず空港に降り立った時の空気の違いに興奮し、目に映る景色が何もかも違うことに、頭を揺さぶられるような衝撃を受けたのを覚えています。
日本語が全く通じない地域で、自分が外国人として存在していることがとても新鮮な感覚で、

海外に出て、もっと異国の文化に触れてみたい!
と、その時強く思ったのが、のちに留学することになる根本的な動機です。
人生の岐路に立つ
そして、2年間の専門学校生活がも終わりに近づき、それなりに就活もしていたのですが、どこか実感が湧かず、「まだ就職するタイミングではないな」という感覚がありました。

じゃあ、どうするかな…
と考えた時に、ふと「海外に出たい」という夢を思い出し、

行くならこのタイミングしかないな
という、天啓のようなものが降りてきて、それからは留学に向けて一直線に物事が進んでいきました。
今考えると、この時自分の心の声に従って選択をしたことは、本当に良かったと思っています。
また、その決断に理解を示してくれた家族や友人に感謝です。

私の留学体験談

留学準備
実際には、ある程度お金を貯めてから行こうと思い、そこから1年くらいはバイト生活をしていました。
当時、今はなきGEOS(ジオス)という英会話学校に通っており、その会社が語学留学の海外校も展開していたため、自然にそこでお願いする流れになりました。
海外校の候補は、
- 北米
- ヨーロッパ
- オセアニア
と、幅広くあり、悩みましたが、私は当時全盛期を迎えていたパンク・オルタナティブ音楽が好きで、ハリウッド映画もよく観ていたので、カリフォルニア英語の影響を色濃く受けていたため、アメリカ・カリフォルニア州のオレンジカウンティという場所を選びました。
場所的にはロサンゼルスの隣の郡で、ディズニーランドや大谷翔平選手の古巣エンゼルスの本拠地でも有名です。
GEOSでは、
- ビザの手配
- 入学手続き
- ホームステイ先の手配
- 空港でのピックアップの手配
といった、留学に関するすべてのことをお任せできたので、右も左もわからない私にはとても心強かったです。
ここで余計な神経をすり減らしてしまうと、本番である留学生活に支障が出るので、ここはケチらずに、ちゃんとした留学エージェントに依頼することをお勧めします。

出発当日〜現地到着
出発日までまだ日数がある時は、あまり留学に行くという実感が湧かず、

自分は本当に留学に行くんだろうか…
という、ふわふわした気持ちで過ごしていましたが、出発日が近づくにつれて、徐々に緊張感が増していき、やがて出発当日を迎えると、

怖ぇなー、行きたくねぇなぁ…
と、朝から食事が喉に通らず、終始ブルっていました。
何せ、私にとってこれが初めての海外生活であると同時に、初めて親元を離れて暮らすというダブルパンチだったからです。
しかし、この緊張のピークは、ボーディングゲートを潜るまでです。
いざ、飛行機に搭乗し、席に座ると、「もう後戻りはできない」ということがはっきりするので、恐怖心がすーっと引いていき、自分でも驚くぐらい冷静になっていました。
飛行機にあまり慣れていなかったため、フライト中は熟睡することができませんでしたが、これまでの人生を振り返り、これから始まる冒険に胸を馳せるいい時間となりました。
今思えば、この時点ですでに人生の転換が始まっていたような気がします。
長いフライトを終え、ヘロヘロになっているところに、LAXのイミグレーションの洗礼を受け、そこからさらに1時間ほどかかりました。
そして、遂に空港の外に出て、重いスーツケースを引きずりながら、ロサンゼルスの空気を一身に浴びた時の衝撃は今でも忘れません。
道ゆく人の話す言葉、人種、さらにはその土地から漂う匂いさえも、すべてが経験したことのない景色で、頭の中で何かが弾ける音がしました。
空港には、ホストファミリーの娘さん夫婦が迎えにきてくれました。
その時、

ここからはすべて英語だ
という覚悟が決まりました。
そして、窓から見えるフリーウェイの景色をぼんやり眺めながら、

ああ、本当にアメリカまで来ちゃったなぁ…
と、さらに実感が強くなっていったのを覚えています。
語学学校時代
学校の授業自体は、テキストを使った授業で、日本の語学学校と大差はありませんでした。
特に、日本企業の語学学校だったため、生徒も日本人の割合が多く、休み時間などは日本語で喋っていることが多かったです。
ただ、他の国から来ている生徒もおり、彼らと遊びに行く時などは英語で話していたので、それなりに練習になっていたと思います。
それよりも大変だったのは、学校以外の時間の実生活の方です。
- スーパーでの買い物の仕方
- バスの乗り方
- 銀行口座の開設
- 携帯電話の契約
- 近所の人たちとのあいさつ・雑談
など、生活の全てが新しいことだらけで、最初は慣れるのに必死でした。
むしろ、学校での時間の方が息抜きになっていたくらいです。
しかし、2ヶ月も過ぎると、大体のことは落ち着くようになり、あんなに刺激と発見の毎日だったのが、この頃には平坦な日常モードになっています。
この時ほど人間の順応能力に感心したことはありません。

ホストファミリーとの生活
留学に来た当初は、学校側が用意してくれたホストファミリーの家に住んでいました。
異国の地に来て、いきなり見ず知らずの人の家に住み始めるというのは、やはり最初はかなり不安や抵抗感がありました。
初日は、飛行機であまり眠れなかったのと時差ボケのせいもあって、部屋に案内されるなり、ベッドで2時間ほど爆睡しました。
それで少し落ち着いて、急に現実感が出てきたのか、激しいホームシックに襲われ、涙が止まらなくなったのを覚えています。
ただ、ホームシックに陥ったのは、仮眠後のその一瞬だけで、その後はとても晴れやかな気持ちになり、純粋に変化を楽しむことができました。
最初の頃は、学校の授業が終わっても、友達とどこかに遊びに行くということもなく、まっすぐ家に帰っていました。
そのため、プライベートの時間はホストファミリーと買い物に行ったり、テレビを見たりして過ごしていました。
食事に関しては、朝は用意されているものを適当に自分で選んで食べる感じで、夕食は料理が得意なホストファザーが作ってくれることが多かったです。
しかし、一通り生活に慣れてからは、レッスン後に友達とどこかに遊びに行くことが増えると、必然的に夕食も彼らと外で食べるようになりました。
そのため、ホストファミリーに毎回今日は夕飯はいらないという連絡をする必要があり、煩わしさと申し訳なさが次第に強くなり、結局2ヶ月ほどで一人暮らしをする決意をしました。
一人暮らし開始
ホストファミリーの元を離れ、今度はある一軒家の一室を間借りする形で一人暮らしを始めました。
その家には、おばあさんが一人で暮らしていましたが、娘さんが近くに住んでいて、しょっちゅう様子を見にきていたので安心でした。
一人暮らしを始めてまもなく、車の免許を取って、車を購入しました。
当時のクラスメイトから、「急遽帰国することになったので、どうしても車を買ってほしい」と懇願され、似合わないリンカーンに乗っていたのはいい思い出です。

この車で、ラスベガスまで旅行にも行きました。
当時、周りの友達で車の免許を持っているのは私だけだったので、OCからラスベガスまで交代なしで8時間ぶっ通しで運転しましたが、

若いってすごいな…
と、今では思います。
夕食の制約も無くなったこともあり、行動範囲と自由度が格段に上がり、かなりストレスフリーな生活になったと同時に、この辺りから少しずつ生活が乱れ始めたのも事実です。
約3年間の留学生活で最も浮かれていた時期と言えるでしょう。
とはいえ、同時に自炊を始めたり、ジョギングを始めたりもしたので、それなりの自己規律は保っていました。
コミュニティカレッジ入学準備
留学生活も半年ほどになり、そろそろ次どうするのか考えなければならない時期に差し掛かりました。
当初は、とりあえず半年くらい語学学校に行って帰国するつもりでしたが、

もう少しここで勉強を続けたいな
という気持ちになり、色々考えた結果、比較的入りやすいコミュニティカレッジに入学することを決意します。
コミュニティカレッジとは、二年制の大学で、日本で言う短大と大学のあいのこのようなイメージです。
修了後は他の四年制大学に編入もできますし、そのまま卒業することも可能です。
カレッジに入るとしても、何を専攻しようかと考えた時に、全く新しいことに挑戦することも考えましたが、ただでさえ英語のハンデがあるのに、そこからさらに新しい分野に挑戦するのは無謀だと考え、結局自分の一番得意分野であるグラフィックデザインを専攻することに決めました。
進学を決めたあとは、語学学校のコースを日常会話コースから入試対策のTOEFLコースに変更しました。
そこでの授業は、今までのお遊びのようなレッスンと違い、結構スパルタ方式で宿題も大量に出て、なかなか歯応えがありました。
このコース変更を機に、乱れた生活が一気に改善し、勉強モードへと切り替わります。
それから試験当日までは、学校から帰ってきても、家で2〜3時間勉強する日々が続きました。
残念ながら、そのカレッジが要求するTOEFLの点数にあとわずか足りませんでした。
そのため、TOEFL入学は諦め、学校の入学試験を受けて入学を試み、見事合格しました。
この辺のシステムは少しわかりにくいのですが、コミュニティカレッジの入学には2通りあり、学校側が規定したTOEFLの点数があれば、入試パスで入学できますが、その他は学校の入試を直接受けて合否を判定されます。
その後も英語の勉強を続けていたため、入学後に受ける留学生を対象とした実力テストでは好成績を収め、本来留学生が受けなければならないESL(English as a Second Languege)クラスの受講を免除されました。
この時は5月で、新学期が始まる9月まで時間があったので、それまで一時帰国することにしました。
コミュニティカレッジ時代
ある程度予想はしていましたが、やはり語学学校と地元の大学とでは、まるで世界が違います。
語学学校では、あくまでもお客さんという意識が強く、先生も懇切丁寧に教えてくれ、わからない人がいればその人に合わせながらレッスンが進んでいきます。
もちろん、生徒は全員外国人で、「英語を話せるようになりたいから英語を学んでいる」というスタンスなので、非常にゆるいです。
一方で、コミュニティカレッジは、基本的に地元の人たちが通う学校であり、留学生だからといって特別扱いされるわけではありません。
先生が話すスピードも、ネイティブ相手のナチュラルスピードで、話す内容も専門的な知識についてなので、最初はほとんど何を言っているのかわかりませんでした。
まだ、デザインに関しての授業は、共通用語も多く、事前知識も頭に入っているので、なんとかついていけましたが、その他の普通教科は相当に難しかったのを覚えています。
最初の頃は、授業が終わってから、恥を忍んで毎回先生のところへ行き、次の授業までに出す宿題や課題に漏れがないか確認していました。
ほとんどの先生は、次までにやってくることを普通の会話の中で平気でさらっと言うので、相当注意深く話を聞いていないと、すぐに聞き漏らします。
おそらく、私の人生の中で一番リスニング力が伸びた時期だと思います。
最初は全く理解できなかった英語も、次第に聞き取れるようになり、最終的には毎回先生のところへ確認に行かなくても大丈夫になるくらいに成長しました。

ルームシェア生活
コミュニティカレッジの入学と同時に、語学学校で知り合った日本人の男友達3人でアパートを借りてルームシェアをすることになりました。
3人とも同い年で、同じカレッジに通っており、休日も割と一緒に行動することが多かったので、まさに私の青春時代と言える時間でした。
最高に楽しい日々でしたが、留学に来ているという観点では、やはり日本人と住まない方が良かったかなと少し後悔しています。
ただ、そのおかげで、日常生活に関してはかなりストレスフリーだったので、余計なエネルギーを消費せずに、学業に専念できたという意味では、メリットもあったのかなと思っています。
なお、先ほど登場したリンカーンは一時帰国とともに手放し、再渡米後、新たにボルボの中古車を購入しました。
アメリカの老舗フリマサイト「craigslist」で探して、実際に見ず知らずのオーナーに会いに行き、英語で交渉したのはいい経験になりました。
こちらは私の好みで選んだので、身の丈に合ったものになっています。


おわりに

以上が、簡単ではありますが、私のアメリカ留学の全体的な流れです。
本当は、現地で就職して、もっと滞在したかったのですが、やはり言葉の壁は相当に高く、一度日本に帰って再チャレンジすることにしました。
しかし、一度日本に帰ってしまうと、再度渡米するのは思ったよりも心理的ハードルが高くなってしまい、いつのまにかその夢もぼやけてきて、やがて思い出すことすら無くなっていきました。
なので、
今留学中で、帰国しようかどうか迷っている…
という人は、帰国せずに、できる限り踏ん張って、現地に滞在する道を模索することをおすすめします。
一度帰国してしまうと、まるで夢でも見ていたかのように、その思いは露となって消えていきます。
また、現在では、スマ留や夢カナ留学といった格安で留学ができるサービスも充実しているので、昔に比べかなり気軽に海外留学に行けるようになりました。
両サービスともカウンセリングは無料なので、「留学に行ってみたい!」という純粋な気持ちがあるのであれば、ぜひ勇気を出して最初の一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか?
それではまた、次の記事でお会いしましょう。
