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何も望まない生き方は正しいのか?|エイブラハムの教え『Ask and It Is Given』【第22章・後編】

前回の記事、

では、

  • 純粋な喜び
  • ワクワク感
  • 情熱

といった感情が、ソースと共鳴しているサインだというお話をしました。

そして、そのようなポジティブな感情を感じるのは、あなたが心から望んだ生き方をしている時です。

しかし、一方で、世の中には、「何も望まない」という生き方を選択する人が一定数存在します。

そのような人の価値観としては、

  • 自我・エゴからの解放
  • 自律心・自制心を鍛える
  • 執着を捨てる

といった意識があり、一見崇高な志のようにも見えますが、宇宙的な観点から見ると、

「何も望まない」という生き方は不自然である

と言えます。

そこで、今回は、

「何も望まない」生き方が不自然な理由

について、深掘りしていきたいと思います。

それでは、始めていきましょう。

今回参考にした本はこちら

Ask and It Is Given
Learning to Manifest Your Desires

英語の難易度:

  • エイブラハムからのメッセージ部分は、チャネリングを通してアウトプットしたものを忠実に再現しているため、文法的に正しくない文章や、英語的に不自然な表現が使用されている場合があります。
書籍タイプ商品ページ
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ページ数:352ページ

著者:Esther Hicks, Jerry Hicks

発売日:2004年10月1日

日本語訳版はこちら

新訳 願えば、かなう
エイブラハムの教え
引き寄せパワーを高める 22の実践

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ページ数:317ページ

著者:エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス

発売日:2016年12月15日

本記事の内容は、本書を読んで私自身が解釈・要約したものであり、著者の意図や原文を忠実に再現したものではありません。また、理解を深めやすくするため、一部の実例などに変更・補足を加えている場合があります。

Contents

「何も望まない」という生き方を選ぶ人がいる理由

では、なぜ彼らは「何も望まない」という生き方を選ぶのか?

「何も望まない」ということは、「望むことを避けたい」ということでもあります。

つまり、彼らの中で「望むこと」で経験する不都合なことがあるということです。

主に3つの理由が考えられます。

「望まない」理由は3つ

  • 不足感を感じたくない
  • 何かを「欲する」ということに対して罪悪感がある
  • 願いが叶わなかった時の落胆を避けたい

それぞれ解説していきます。

不足感を感じたくない

「望む」という行為には、2つの側面があります。

  • 「こうなれたらいいな…」「これがあったら幸せだな…」と、それが「ある」状態にフォーカスしている
  • 「〇〇が欲しい。なぜなら今それを持っていないから…」「〇〇にはなりたくない…」と、それが「ない」状態にフォーカスしている

望まない生き方を選択する人は、2番目の「ない」に対するフォーカスが強く、望むことによって生まれる「不足感を味わいたくない」という潜在的な欲求があります。

そのため、

えいじ

惨めな思いをするくらいなら、最初から望まないほうが楽だ…

という思考に至り、望むことを諦めてしまいます。

They come to think that the feeling of desire is like wanting something that they do not have. But there is no feeling of lack in pure desire.

Ask and It Is Given, P120

何かを「欲する」ということに対して罪悪感がある

世の中には、「望むことは、欲することだ」という認識を持つ人たちがいます。

本来、「望む」という行為は、純粋な喜びや情熱から生まれるものであって、「不足感」や「欠乏感」といった欲求を満たすために「欲する」ものではありません。

しかし、彼らの中には「望む」と「欲する」を混同してしまい、望むことに対して、罪悪感を持ってしまっている人がいます。

そのため、彼らの純粋な喜びや愛情から生まれた望みでさえも、

えいじ

欲してはだめだ、我慢我慢…

と、自らの望みに蓋をしてしまっていて、望みを持つ自分に対する自尊心も下がってしまっている状態です。

There have been some who have said to us, “Abraham, I’ve been taught that it’s not appropriate for me to have any desires. I’ve been taught the state of desire will keep me from being the spiritual Being that I’m supposed to be, and that my state of happiness depends upon my ability to release all desires.”

Ask and It Is Given, P121

願いが叶わなかった時の落胆を避けたい

何かを「望む」ということは、何かを「期待する」ということでもあります。

期待すること自体は、決して悪いことではありません。

事実、22段階の感情スケールでは、「前向きな期待(Positive Expectation)」は、「信念(Belief)」と同じ4番目と、高い位置にあります。

では、前向きな期待と、そうでない期待には、どのような違いがあるのでしょうか?

前向きな期待とは、すでにその望みが叶ったかのように振るまえる状態のことです。

もはや、それがすでに「ある・来ている」という確信のようなものがあります。

しかし、人は前向きではない期待を抱いている時、

  • 「もし、〇〇があれば、一生幸せになれるんだけどな…」
  • 「もし、〇〇を手に入れられるなら、欲しいものすべて諦めてもいい…」

といったように、その望みに対しての期待が大きくなりすぎてしまうことがあります。

しかし、このような状態は、アラインメントになっていない状態であり、その願望は実現しにくいとエイブラハムは言います。

そして、期待が大きいほど、その願いが叶わなかった時の落胆の度合いも大きくなります。

そのため、

えいじ

どうせ期待しても無駄だから、最初から望まないようにしよう…

と、「願いは叶わないもの」という信念(Belief)と共に、「望まない」というスタイルが確立されます。

When your desire feels so big that it feels unreachable, it is not on the verge of manifestation. When your desire feels to you like it is the next logical step, then it is on the verge of manifestation.

Ask and It Is Given, P122

「何も望まない」生き方が宇宙的に不自然な理由

「何も望まない」生き方は、エゴや執着から解放されるから、波動が高い状態ではないのか?

という考えもあるかと思いますが、実は宇宙的な観点から見ると「望まない」という状態は不自然であり、不調和でもあります。

理由は3つあります。

「望まない」が不自然な理由は3つ

  • 宇宙は拡張し続けている
  • 「何も望まない」という抵抗
  • 人は望んでいる時に最も波動が高まる

それぞれ解説していきます。

宇宙は拡張し続けている

の記事でお話ししたように、宇宙は常に拡張し続けていて、その拡張は止まることはありません。

宇宙の拡張とは、すなわち現実創造そのものです。

私たちが日々、何かを思考し、願いを放ち、物質化された現実を経験する—

この全てが宇宙の拡張のプロセスです。

つまり、

宇宙の拡張 = 現実創造 = 願望実現

ということであり、我々はこの創造のプロセスを通して、創造エネルギー(経験や観測)をソースに還元しています。

したがって、我々人間にとって、望むことは、呼吸をすることと同じくらい不可避なものであり、自然なことだと言えます。

「何も望まない」という抵抗

私たちは、ソースエネルギーの延長であり、その末端の「Leading Edge(物質世界と非物質世界の境界)」に存在し、現実創造の最終的な実行者としての役割を担っています。

そのため、あなたが純粋な気持ちから何かを望んでいる時、あなたはソースエネルギーと共鳴し、Well-Beingとアラインメントが取れている状態になります。

アラインメント = 受け入れている状態

なので、「何も望まない」という意図的な姿勢は、「抵抗」を生みます。

私たちの願望は、川の流れのように滞ることがなく、常に流れ続けています。

ですので、「何も望まない」というのは、この川の流れに必死で抵抗しているようなものです。

また、「何も望まない」という意識を持っている時点で、潜在的に何かを望んでいるということの裏付けになります。

そして、その歪みはやがて、心身の不調という形で顕在化していきます。

人は望んでいる時に最も波動が高まる

人は、純粋な望みをイメージしているときや、そのプロセスを経験しているときに、最も波動が上がります。

その時感じる、

  • ワクワク感
  • 情熱
  • 熱中

といった感情は、かなりの高波動であり、魂が震える瞬間です。

私たちは、この心から湧き出る願望を実現させる経験をするために地球に生まれてきました。

前章で挙げたような人たちは、「正しい望み方」を知らないため、望まないことによって、一時的な「安堵感」や「心の平穏」を手にいれることもあるでしょう。

しかし、次から次へと湧いてくる望みはコントロールできるものではありません。

その魂の摂理を無視し続けていると、望みたい魂と望みたくない思考にギャップが生じ、徐々に波動は下がっていきます。

The entire Universe exists to produce new life-giving desire within you, and when you go with the flow of your own desires, you will feel truly alive—and you will truly live.

Ask and It Is Given, P123

まとめ

今回の要点をまとめると、

「望まない」理由は3つ

  • 不足感を感じたくない
    • 望みよりも、それが「ない」という状況に意識が向いてしまっている
  • 何かを「欲する」ということに対して罪悪感がある
    • 望む」は、純粋な喜びや情熱から生まれ、不足感や欠乏感を満たすために「欲する」ものではない
  • 願いが叶わなかった時の落胆を避けたい
    • 落胆は、望みに対する期待が大きくなりすぎたときに起こる

「望まない」が不自然な理由は3つ

  • 宇宙は拡張し続けている
    • 宇宙の拡張 = 現実創造 = 願望実現
  • 「何も望まない」という抵抗
    • 「何も望まない」という意図的な姿勢は、「抵抗」を生む
  • 人は望んでいる時に最も波動が高まる
    • 「正しい望み方」を知らない人は、望まないことによって、一時的な「安堵感」や「心の平穏」を手にいれることもある

となります。

「望まない・求めない」という考え方は、ある種仏教的な価値観に近く、日本人の情緒にマッチしているかもしれません。

しかし、この「望まない・求めない」ということに対して、正しい解釈がされていないのではないかと感じています。

先人たちが私たちに伝えたかったのは、「望むことを諦める」という意味ではなく、「期待をし過ぎない・願望に支配されない」ということだったのではないでしょうか。

過度な期待や支配欲は、執着や抵抗を生みます。

また、肥大したエゴから生まれる望みは、本来の純粋な望みではなく、欲望です。

願望は英語では、「desire」と表現されますが、特に日本では「願望」と「欲望」が混同されているのではないかと感じます。

本書では、不足感から来る望みは「wanting(欲すること)」と表現されていますが、私の感覚ですと、「craving(欲求)」や「urge(衝動)」が近いと感じました。

いずれにしても、魂や心で望むものが本来の望みであり、体や頭が欲する短絡的な望みは欲望や衝動なので、本来の意味での望みではありません。

また、「何も望まない」ということは「何も望まないことを望んでいる」ということでもあるので、結局私たちはこの世界にいる限り、望むこと(=願うこと)からは逃れることができません。

ですので、大いに望んで、その願いを叶えるという体験をしていってほしいと思います。


それではまた、次の記事でお会いしましょう。

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